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ちょっと前の話だが、池田小乱入殺傷事件の宅間死刑囚が獄中結婚をしたそうな。
個人的にはこういう人間について書くことすら虫唾が湧くのだが、
敢えて書いてみる。

ということで、テーマは愛。
愛って何?
こんな事件を起こして死刑が確定した人間に対しても愛は生まれるのか?
いや、実際そうなんだろう。
孔明もびっくりの策略や、若しくは常人には計り知れない計算式によっての
損得勘定での結婚とは到底考えられないから。
では何故? お互いの感情に想像もつかない。
結局この件に限らず、全ての人間も同様で、
非科学的であり科学的でもあり千差万別なこの見えぬ力に依って支配されている。
恋は盲目、とか、愛は盲目、なんて言葉もあるが。

ところで、愛と一口に言ってもいろいろある。
愛情と情は違うし、恋と愛も違う。
ちなみに恋と愛で言えば「恋はするもの、愛は与えるもの」と理解している。
恋は異性(同性もあるが)に対するもの、しかし愛は万人、万物に対するもの。
与える愛、つまり、信じ敬い思いやる。そういうこと。
以前何度か、以下のくだりを書いた。

『All controversy begins with Doubt.』(疑い。全ての争闘はそこから始まる)

些細な痴話喧嘩から大きな戦争まで、これがトリガーになる。
疑念の前には信頼があり、その根底には愛がある。
愛とは言わば、あらゆる物質を構成する基本粒子であるクオークと言うことか。

ここまで書いておいてなんだが、結婚自体は愛が無くても出来る契約制度であるし、
そもそも今回の内容は男女間の恋愛とはかけ離れた結果になったので、
結局今回の書き出しは意味が無く、テーマのきっかけに過ぎなかったようだ。
愛とは筆者に似つかわしく無いテーマだとお思いの方々、
何を言っている、万年、愛の大飢饉な俺に、最もも相応しいテーマだったのでは。
逆に言えば、一番支配されている、そしてコントロールを失い欠けている・・・・・。
(このコラムもコントロール喪失寸前?)




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