自分が調べようとしていることと同じ内容を
質問しているページが見つかると答えがすぐわかるので、
非常に助かりますし、こういった便利なサイトは重宝します。
ただ、参考になる回答が見つかることも多い反面、
質問の答えになっていない回答も非常に多く見られるということが
いつも気になります。
例えば以下のような質問があるとします。
「○○な状況で使用するのに適した××が欲しいのですが、
AとB、2つの商品があり、
どちらを購入しようか迷っています」
これに対して、
以下のような回答をよく目にします。
例1
「俺ならCを買う」
例2
「Aは○○が欠点でダメだ。
Bも××が良くない」
例3
「どちらも買うに値しない。
次の新製品を待った方がいい」
など。
天の邪鬼なのか、自己主張が強いのか、
読解力が無いのか、それとも単なる嫌がらせなのか・・・。
確かに、ネットだけでなくリアルでもそういう人いますよね?
意図的なのか無意識なのか、
明らかに質問に対して外れた答えをする人が。
上記の3つの例で言えば、
こういう言い方にすればいいのに。
例1
「AかBなら、○○という理由でAの方が良いが、
両方の特徴を持ったCという商品もありますよ」
例2
「難しいけど、強いて言えばBかな。
Aは○○が特長で、××が欠点。
Bは△△が特長で、□□が欠点なので、
そこを考慮して選べばいいでしょう」
例3
「その目的ならどちらも合わないから、
もし急ぎじゃないなら、もう少し様子を見ては?」
ネットの情報を利用するには、
嘘か本当かを見抜く力が必要だとよく言われますが、
それだけではなく、
無駄な情報をスルーする力も必須ですね。
もっとも、ネットに限らず雑誌も新聞もテレビも同様ですが。
そういう雰囲気は他にも随所に表れていて、
例えば、
僕「10年後には山と自然に囲まれたところに別荘でも建てて、
そこで週の半分は仕事しながら、
残り半分はやりたいことをやりたいんだ。」
友「山の中じゃネットつながらないんじゃない?
つながったとしても、
ネットだけじゃ出来る仕事も限られるんじゃない?」
僕「そころには一段と進化してるよ。
たとえ光回線が無い場所だったとしても、
電力線とか衛星とかで通信できるようになってるかもしれないし。」
友「でも、過去10年の技術進歩なんてたいしたことないから、
今後10年、もし同じ分だけ進化したとしても、
たいして変わらないんじゃない?」
何というか、もったいない。
人生もったいないよ。
仮に、例え難しいとしても、
「・・・それを実現するにはどうすれば?」
という観点で話してみれば、それだけで楽しいのに。
で、ついでにほんの少しでも実現に近づければ、さらに良し、なのに。
彼の会社(有名企業です)では、
ノルマ達成のために、自腹で販促品を買ってお客様に渡すとか、
お客様のクレームに、自腹で買った品物を渡すことで解決するとか、
売れ残り商品を自腹で買うとか、そういうことがよくあり、
それが当たり前で、彼はそれしか方法がないと考えているようです。
昔は、別にそんな人じゃなかったんですが、
そういう環境が、彼をそのように変えてしまったようです。
もちろん本人の性格的なところもあるとは思いますが、
人をそういう風に変えてしまう会社があるとしたら、すごく残念だと思います。
ところで、先日の「渋谷で働く社長のブログ」にこんなことが書いてありました。
サイバーエージェント入社式での新入社員の挨拶だそうです。
以下引用
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「春休み、屋久島に行ったんです。
なんとか杉(←不明)を見るために、22キロも
歩いたんです。
街中ならそんな距離歩いてもつまらないけど、
すごく楽しかった。
それは、なんとか杉をどうしても見たい。という目標設定。
そして景色を楽しむなど、そのプロセスを楽しんだから・・・」
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新入社員といえば、
自分より生きている時間が約10年も少ないのに・・・
心に響きました。
そして、僕の友人に聞かせたい。
友人のと会話、そしてブログで見かけた新入社員の言葉、
それぞれに色々な意味で刺激を受けました。
今の僕は仕事が精一杯で、まだまだ人を気にかける余裕も無いのですが、
「友人の考え方を良い状態に戻すにはどうするれば?」
と考えて、愚痴を言わないやつにする、という目標設定を立て、
そのプロセスを楽しんでみようと思います。
・・楽しんで、というのは誤解を招きますね(笑)
この場合は、あくまで友人として楽しく、ですね。
昼間の窓からの風景は、多くの車、ビル群、そして狭い青空が広がっているわけですが、夜になると、その色とりどりに光る看板がひときわ目立っています。
そして、窓ガラス自体には明るい事務所内の様子がうっすら反射して、夜の景色と重なります。
僕の席からは、室内の扉に貼ってあるうちの会社のロゴ(といってもコピー用紙に印刷しただけのものですが)が、ちょうどひとつのビルの屋上の看板に重なるように見えるのです。
目標を達成するには、計画を立てて1つずつ実行していくわけですが、それ以前に目標を達成した暁には何をするか、という夢が必要です。
夢は公私どちらでも構いません。
その夢を、より具体的に、質感まで感じられるほどより鮮明に日々考えることで、現実に引き寄せることができるはずです。
夢が現実に引き寄せられたなら、それは目標が達成されたから、ということです。
計画を日々進めていくのは大変なことだらけですが、今はガラスに映る透過した会社のロゴが、くっきり昼間でも見えるものにするために、これからはふと作業の合間に見るだけでなく、鮮明にイメージしながら見てみようと思います。
学校の教室くらいの小劇場で、大道具などもないのですが、それが逆に力強さ、小さな表情の変化や仕草などを生々しく感じることができて、世界に入り込むような感覚になります。
まさに、ストーリィとそれを表現する役者の力のみの勝負。
感動です。
そして、演劇としての内容もさることながら、本気で夢を追う人々の生き様を間近で見ることで、前に進む大きな力を与えられました。
ストーリィが生み出され、役者が表情や動きや台詞を入れることによって、どんどん作品が成長していく。
一つ一つの公演はきっと「子供」なんだと思います。
僕には子供はいませんが、子供が生まれ、育てるのには、時間的、精神的、肉体的に大変だと思います。
そして、命に対しての大きな責任感が伴います。
会社という子供を、商品という子供を産み出してこれから育てていく、そして夢を目標として進んで行く我々と、小劇場で見たすばらしい公演をそんなふうにダブらせてみると、目標に向かう道のりが、より力強く、より鮮明になった気がしました。